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このたび、「わたしとビオレu」をテーマに、
My Kao会員のみなさまからたくさんの思い出や心あたたまるお話をお寄せいただきました。
泡の中に浮かび上がる、ふとした瞬間の、小さなできごと――
それぞれの暮らしのなかに息づく、素敵なエピソードをご紹介します。
minhoさん 30代 和歌山県

「早く手洗いうがいしてね」
幼稚園に通い始めた3歳の息子に毎日帰ってきたら教えています。
でも遊びたくてなかなか手洗いをしない息子。
最終的には私が怒って洗面所に連れて行きます。
息子は怒られているのが分からないのか、ニコニコ。
服の袖をまくり、ビオレuを息子の手につけます。
「あわ~」と楽しそうに笑う息子。
小さなかわいい柔らかい手を包み込むように洗う私。
『あぁ、赤ちゃんの頃はあんなに小さかった手が、こんなに大きくなったんだなぁ。』
『あ、今日はクレヨンでお絵描きしてきたな!爪にクレヨンが入ってる!』
『あ、今日は絵の具をして遊んだんだね!』
手を洗うだけで幼稚園で何をしてきたのか分かり、息子との会話が弾みます。
いつまでこうやって息子の手を洗えるんだろう?ともしみじみ思います。
今を大切に過ごしたいです。
毎日の手洗いの時間が、親子の会話を生むきっかけになっているのが素敵ですね。汚れを落とすだけでなく、一日の出来事や気持ちにも触れられる時間。そんなひとときが、これからもやさしく続いていきますように。
cocoさん 40代 兵庫県

娘が幼い頃、我が家の手洗いソープは液体から泡タイプに変わった。小さな手のひらに、えいっと2プッシュ。もこもこと膨らむ泡を見て、「雪だるまみたいだね」と笑い合いながら、手を洗う時間はちょっとした遊びの時間になった。手洗いは、いつも一緒だった。
泡をのせて、くるくると手をこすりながら、他愛もない話をして、泡だらけの小さな手を水で流す。その何気ない時間が、当たり前のように毎日の中にあった。
あれから時は流れ、娘はもうすぐ高校生になる。
いつの間にか、手洗いも一人でするようになり、私はただ横で見守るだけになった。
私はたまに泡を2プッシュして手のひらにできた泡を見て、心の中でそっと雪だるまを作る。もう隣に小さな手はないけれど、泡の感触とともに、あの頃の笑顔や声が、ふっとよみがえる。泡の中に残るのは、形のない雪だるまと、子育ての時間がくれた、あたたかい記憶なのかもしれない。
泡の中に、あの頃の時間がそっと残っているようですね。手のひらの上でつくった小さな雪だるまも、一緒に過ごした何気ない日々も、形はなくなっても、やさしく心に残り続けているのだと感じました。
ねこひげさん 40代 茨城県

一日中、頭も心もフル回転していた夜。
帰宅して服を脱ぎ、とにかく一日の汚れと、まとわりついた疲れを洗い流したくて、浴室へ向かう。
ビオレuの泡を手に取ると、指先からふっと力が抜けた。
疲れた心にそっと寄り添うようなやさしい香りと、ふわっと身体をやわらかく包み込むような泡の感触に、「おつかれさま」と言われた気がする。
誰かのためじゃなく、自分のために体を洗う時間。
仕事では強く、早く、迷わず決断する毎日だけれど、湯気に包まれながら泡に触れているあいだだけは、何も考えなくていい何者でもない素の自分に戻れる時間。
急ぐ必要も、答えを出す必要もない。
気づけば、ビオレuは忙しい日々のすぐそばにあった。
肌に触れるその一瞬が、張りつめた気持ちをそっとほどく。
また明日、前を向くための静かなスイッチみたいに。
何かを落とすための時間でありながら、同時に、張りつめていたものがほどけていく時間でもある。泡に触れるそのひとときが、明日へ向かうための、静かな切り替えになっていく――そんな余韻を感じるエッセイでした。
ぽてとまるさん 30代 大阪府

「まずは手のひらをゴシゴシ。次に手の甲をゴシゴシ。……最後に手首をゴシゴシ、できた!」
洗面所から、毎日聞こえてくる声。
手を洗っているのは、2歳の娘。
隣にいるお父ちゃんのマネをしながら、一生懸命、手を洗っている。
「今日もお父ちゃんみたいにできたよー!」
嬉しそうな声が聞こえる。
手を洗うときに使う踏み台も、1人で上れるようになった。
1人で蛇口をひねって、水を出せるようになった。
1人でタオルで手を拭けるようになった。
そしてこの前、1人でポンプを押して、せっけんを出せるようになった。
毎日の一連の動作の中で、自分でできることが増えていく。
今日も、娘の自慢げな声が聞こえる。
「ただいまー!今日はお母ちゃん、みててー!ほら、お父ちゃんみたいに上手に手を洗えるでしょ?」
「できた」という喜びを重ねていく時間になっているのですね。一つひとつの動作の中で育っていく自信と、それを誰かに見てもらいたい気持ち。そんな大切な瞬間が、日常の中に自然と生まれていることが印象的でした。