「いい顔の、素顔。」は、様々な分野で活躍するゲストをお呼びし、毎日をいい顔で過ごすための工夫や考え方についてお伺いする特集です。株式会社AGRIKOの細田阿也がナビゲーターを務め、ゲストの知られざる素の一面を引き出していきます。
初回のゲストは5児の母でありながら、シングルマザーとして、そして助産師として活躍する元モデルの敦子さんへインタビュー。モデルから助産師へとキャリアチェンジした挑戦の軌跡から、子育てや家族との向き合い方、ひとり親(シングルマザー・母子家庭)としての苦労と工夫、個人としての自立といった幅広いトピックについてお聞きしました。親として、女性として、ビジネスパーソンとして・・・敦子さんの多面的な素顔を紐解きながら、彼女の輝くような明るい笑顔の源に迫ります。
敦子さんへのインタビュー第三部は、助産師として医療従事者・エッセンシャルワーカーとしての素顔をお届けします。
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(※対談のフルバージョンは上のバナーをタップして動画をご覧ください。以下の記事は動画の内容を一部割愛・要約・修正などを行った編集記事です。)
助産師 敦子さん
雑誌JJや2000年ビールキャンペーンガールとしてモデルデビュー。2014年結婚、出産しVERYモデルとして仕事復帰。CMや、雑誌からだにいいこと、VERY表紙を務める。子育ての傍ら、内閣府認証(日本能力開発推進協会)チャイルドカウンセラー、内閣府認証(日 本能力開発推進協会)チャイルドケアコーディネーター、NPO日本食育アドバイザー、誕生学アドバイザーの資格取得。2014年、ジョイセフとの出会いにより妊産婦支援の活動も始める。妊産婦支援のため看護師資格、助産師資格取得し、現在は総合病院にて助産師として勤務している。
細田
ファッションモデルから助産師は非常に大きなキャリアチェンジだったと思いますが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
敦子
わたし自身、幼少期から赤ちゃんに接する機会が多くて、高校生の頃に米国へ短期留学でホームステイした時もホストファミリーの中でずっと子守するという経験をしました。そのため、子どもが生まれることや、それに寄り添う助産師という仕事に漠然といいなぁという憧れはあったと思います。
でも、思うことと、なろうとすることは違いますし、モデルの時は助産師とは全く縁のない生活だったので、なろうとも思っていませんでした。ただ、4人の子どもを産んだタイミングで、雑誌のイベントでジョイセフとご一緒して、タンザニアで出産した方のお話を聞きました。国が違うだけで、出産の過酷さがまるで違うことなどを知って感心が高まりましたし、やっぱり「知る」ということが大事だな、とも感じました。
実際に助産師になろうと思ったのはその4年後で、ジョイセフの広報活動の一環でタンザニアに同行した際、現地の母親がとても楽しそうに過ごしていたんですね。でも、生活には課題があり、当時のわたしがタンザニアで共に生活をしても、何の役にも立たないなと感じたんです。それなら、次にここに来るときは、助産師になって誰かのためになりたいと考えました。
助産師になるには、看護師免許と助産師免許の二つが必要なので、タンザニアから帰国してすぐ、まずは看護学校に入学するための準備をはじめました。
細田
そのような大きな転機があったとはいえ、やっぱり、子どもたちを守ってあげたいといった感情が強かったのでしょうか。
敦子
そうですね。いまを生きる子どもたちが、この先、生きていく未来の責任は大人にありますし、このままでは死ねないなと思ったんですよね。自分がどこまでできるかわからないけど、子どもたちの未来が少しでも明るいものであってほしいなという想いはあって、そのために自分ができることは何だろうって考えていました。
自分の子どもたちだけが幸せに育っても、そこに本当の幸せはないと思うので、やっぱりみんなで幸せになる、社会全体が幸せになれる道を模索しないと、結果的に自分の子どもたちも幸せにはなれないと思いました。そういうビジョンが具体的になっていったきっかけがジョイセフでの活動だったと思います。
細田
看護師免許と助産師免許以外にも、様々な資格を取得されているんですよね。
敦子
それは助産師になる前の話ですが、4人も子どもがいると家の外に出るのが難しくなってしまって、なにか自分も社会と繋がるために、家で取得できる資格や勉強などをしていました。その時に勉強した食育アドバイザーという、離乳食や幼児に必要な栄養素に関する知識、ベビーマッサージの講師の資格などは、結果的にいまの仕事でも役立っていますね。
でも、いま振り返ると、当時は社会に取り残されてはいけない!と思って必死だったのだと思います。
細田
母であると同時に、やっぱり人のために役に立ちたいという想いがあったんですね。
ナビゲーター 細田阿也
東京都出身のフリーアナウンサー。中学の頃より始めた芸能活動を経て、裏方・仲介役に惹かれ、サッカーなどピッチリポーター、スポーツMC、ラジオパーソナリティ、ナレーターとして活動。パラレルキャリアとして、女優・小林涼子さんが代表を務め、桜新町・白金に農福連携FARMを運営する株式会社AGRIKOの営業・リクルートを務める。 自身も高校3年・小学5年生の兄弟を育てるシングルマザーとして奮闘中。
細田
先ほど、タンザニアのお母さんとても楽しそうだったという話があり、現地にいかれて感じることも多くあると思いますが、タンザニアの経験で、どのような発見や感動がありましたか。
敦子
震災地域に訪問することもあるのですが、現地のお母さんってすごい強さがあるんですよね。だから、支える側だと思って現地に行く、実際は、現地で皆さんに支えられているという感覚があります。また、発展途上国と呼ばれる国に行く際は支援するという立場で行くことが多いですが、そこにしかない豊かさというものもあるんです。
タンザニアの生活って、電気も水道もガスもないんですよ。それでも、夕方になると道端で数人のお母さんがトマトを剥きながら談笑していて、その近くで棒を振り回しながら遊んでいる子どもたちをほほえましく見守っている様子をみてとても幸せそうに見えたんです。日本に比べればモノもなく、ライフラインも整っていないですが、そこで暮らす人々の笑顔はとてもイキイキしていました。
同時に、モノがあふれていることが幸せなのだろうかとも感じました。モノがあふれていることが必ずしも幸せではないとしたら、どういうところに人って幸せを感じるのだろうと気づかされました。豊かな生活が、逆に不幸せになっている部分もあるのかなって。そういう幸せに対する考え方は、タンザニアに教えてもらったように思います。
ギブ&テイクの関係というよりも、シェアする関係という感じですね。
細田
助産師になられてどれくらい経ちましたか。また、赤ちゃんはどれくらい取り上げられたのでしょうか。
敦子
助産師になって三年目で、これまで60件弱です。
細田
振り返ってみて、どのようなストーリーがありましたか。
敦子
すべてがその家族にとって大切な瞬間で、それに立ち会わせてもらっていて、手帳に一件ごとにどんなお子さんだったのか記録しています。わたしはその子たちに会うことは今後ないかもしれないけど、彼らの母子手帳にはわたしの名前が残っていて、出産に携わった子たちの未来が明るいといいなと思います。
細田
コロナ禍に助産師になられたとのことですが、昨今、出産や育児に不安を覚えるお母さんも多いのではないでしょうか。
敦子
いまは出産する年齢があがってきていることもあり、家族のサポートが薄くなっているという傾向もあり、不安という側面はあるかもしれません。
細田
わたし自身の経験としても、助産師さんに気合をいれてもらうようなこともあり、助産師さんとの関係性ってお母さんの記憶にとても残るものですよね。
敦子
助産師はよく黒子であれと言われます。サポートしていることすら気づかない、自分の力で埋めたと感じてもらえるサポートができたらと思います。もちろん、感謝していただける瞬間も助産師冥利に尽きますけどね。
細田
今後、ジョイセフとして、あるいは個人として実現していきたいことなどありますか。
敦子
ジョイセフとしても、助産師としてもできることとして、お母さんたちが出産や育児に向き合うとき、少しでも明るい未来になれるようにしていきたいです。出産や子育ては母親と子どもだけで完結するものではないので、地域社会もそうですが、新しい命を世界全体が温かく迎えられるような社会になっていくといいなと思います。
細田
助産師という仕事は、どこからどこまでサポートするものなのでしょう。
敦子
妊婦検診や産後の育児支援もしますが、いまは遺伝学の発展もあり、助産師がサポートする幅は非常に広いです。出産にフォーカスしていると思われがちですが、実際は立ち会った家族の未来まで目を向けて関わることになります。いまは自然分娩と無痛分娩が選べたり、様々な選択肢があるので、それぞれの理想のお産を叶えてあげるということも重要です。
また、最近はお父さんの立ち合いも増えていて、育休制度の充実などの変化も感じます。ただ、お産の瞬間だけは、お父さんの無力感も伝わってきますね(笑)。そんな中でも積極的にサポートしようというお父さんが増えてきているように思うので良いことだと思います。
細田
理想のお産などあるのでしょうか。
敦子
わたしのように三年目くらいでは理想なんてまだまだ遠くて、いまは一件一件、より良いお産ができるようにサポートするのが精一杯です。ベテランになってくると、1,000人とか取り上げている方もいるので、まだまだ新人です。
細田
あらためて、この20年間の子育ての中で、自分を支えてくれた存在はどのようなものだったのでしょうか。
敦子
やっぱり子どもたちですね。子どもたちがいるからすごくパワーをもらうし、毎日が目まぐるしく過ぎていくし、だからこそ自分が将来どうなっていたいかも切実に考えるし、自分の楽しそうな姿を見せなきゃいけないと思いますし。だから、子どもたちが一番の良き理解者であり、背中を押してくれる存在ですね。あとは、やっぱり自分の母親ですね。
困ったときに手助けしてくれるから、頑張れると思います。
細田
将来はどこかの国や島で助産師をしていたいなんて話もありましたが、今後の中期的・短期的な目標や野望などあったりしますか?
敦子
わたしは目標を立てるのが結構好きで、毎年、必ず子どもと富士登山をしています。登山って目標とすごく重なるところがあって、下から山頂を見上げると遥か彼方に見えるのですが、登っていくと山頂に近づいていく実感があるんです。そうやって一歩一歩進んでいくと気づけば山頂にいるんです。子どもにもそういう経験を自信にしてほしいと思いますし、人生ってつらくても一歩ずつ足を前に出していたら、自分が無理かもしれないと思うところにたどり着けると思っています。
短期目標としては、5年の経験と100人とり上げる経験をするとアドバンス助産師という資格を得られるのですが、目下、経験を積んでそれを達成したいと思います。
最終的な目標は、わたしがどこにいても子どもたちがわたしのことを心配せずに、「ママどこにいるかわからないけど、きっと楽しそうにしてるんじゃない」って言ってもらえるよな、そんな老後の風景を実現したいなっておもいます(笑)。
細田
子どもたちが大きくなったら、わたしは寂しくなって老後の不安どうしようなんて思っていましたが、いまのお話をきいて気持ちがとても軽くなりました。
母になっても、色々な挑戦はできますよね。今回、ひとり親(シングルマザー・母子家庭)や子育てといったテーマでも色々とお話うかがってきましたが、最後にメッセージをいただけますか。
敦子
子育てしていると、自分が将来どうなりたいとか、余裕もなくなってくるし、自分がどういう人生を歩んでいきたいかについて、子育て抜きで考えるのは難しくなると思います。
でも、なりたい自分をみつけて、ワクワクする時間を見つけると、毎日が楽しくなっていきます。だから、何にでもなれると思ってほしいし、自分の未来は自分が一番楽しみにしてほしい。子どもたちにもそう思ってほしいし、将来の自分はどういう自分を見せてくれるのだろうっていう、自分自身の未来に期待するような、楽しい未来像をたくさん想像して、ここにたどり着けたらいいなぁなんて想うだけでも一歩進んでいるはずなので、いろいろ想像力をはたらかせてほしいですね。
細田
今回は、敦子さんからとても好きな言葉のプレゼントをたくさん頂いて、自分の未来がとても楽しみになりました。
ありがとうございました。
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